プロフィール

ふるさと羽曳野・生い立ち

1965年誕生
1965年誕生 羽曳野市高鷲で生まれ育ち、母は愛媛県生まれ、父は地元で農業を営んでいました。

中学時代(高鷲南中)
高鷲南中学時代 高鷲南中学時代 当時新設校だった高鷲南小、高鷲南中学校に通いました。

高校時代
高校時代 藤井寺高校時代は生徒会長、学祭実行委員長を務めました。また中国国交回復10周年記念事業、大阪府高校生中国派遣団に参加。北京、蘇州、上海各地の高校生と交流しました。私は大阪の伝統文化、河内音頭を両国の高校生が輪になって踊る企画を実行しました。

大学時代
大学時代 学生時代は甲南大学グリークラブ(男声合唱団)に所属しチーフマネージャーとして演奏会の開催、合唱団の運営に熱中しました。当時は合唱熱が盛んな時代で、テレビ局からの出演依頼も多い80名を超える大合唱団でした。

会社員時代
会社員時代は製薬会社で国立大学病院担当MR(医薬情報提供者)として新薬の開発業務に携わり、先端医療の現場医師と多くの情報交換をする毎日でした。

薬店経営者時代
羽曳野の暮らしと健康を守りたいと地元で起業。恵我之荘、高鷲、島泉、羽曳野病院前で20年間、薬店を経営しました。羽曳野病院の医師と意気投合し、アトピー性皮膚炎で悩む子どもたちへの食事指導、環境改善などの市民講座を定期開催しました。

日本青年会議所大阪ブロック副会長
青年会議 社団法人羽曳野青年会議所の入会し2000年度理事長、日本青年会議所大阪ブロック副会長などをつとめ、当時生み出した地元羽曳野のマスコットキャラクター白鳥王子タケルくん、ローカルヒーロー英雄戦隊コーダイガーは現在も子どもたちに大人気です。

市民フェスティバル実行委員長
市民フェスティバル実行委員長 羽曳野市民フェスティバル実行委員長を2年間つとめ、南河内最大規模の5万人の来場者を達成。現在も峰塚公園で5月5日開催されている同イベントの基礎を当時の市民団体の有志の皆さんと汗をかき、共につくりました。

世界文化遺産登録に向けて
世界文化遺産登録 2006年から市の文化力向上のために、ヤマトタケル白鳥伝説をテーマにした2時間を越える大曲オラトリオヤマトタケル(作曲三枝成彰氏、作詞なかにし礼氏)の演奏に取り組み各地で開催。百舌鳥・古市古墳世界文化遺産登録記念演奏会として昨年は大阪ザ・シンフォニーホールで満員の観衆の中、300名で演奏し、多くのマスコミに取り上げられました。

市議会議員選挙に出馬、4期目現在に至る
市議会議員選挙 「もっとわがまち羽曳野をよくしたい」と、市議会議員選挙に出馬。4期連続当選させていただきました。これからも私の原点「市民のくらしに寄り添った政治」をつらぬいて参ります。


座右の銘

「至誠通天」

議員になった理由

北高南低と言われる医療格差、人口減少、地価下落など、停滞する南大阪 羽曳野市の状況に、一市民として危機感を持ったから。

趣味

合唱(part:バス)混声合唱団所属
YouTube動画配信 チャンネルもっと羽曳野!

主な経歴

タケルくん

(社)羽曳野青年会議所第30代理事長
(社)日本青年会議所近畿地区大阪ブロック協議会副会長
 羽曳野市民フェスティバル実行委員長
 羽曳野少年サッカースクール顧問
 町会顧問
 羽曳野市議会副議長
 羽曳野市監査委員
 総務文教常任委員会委員長
 柏原羽曳野藤井寺消防組合議会副議長
 百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進議連役員 ほか